身の上相談 de 墓参り

 
 ふと思い立って墓参りをしてきた。
 ご先祖様のお墓ではなく今東光(こん・とうこう)大僧正の墓にである。
 
 なんでまた?
 
 きっかけは1冊の文庫本の衝動買いだ。
 
 
 
 その日はちょっとした野暮用があって、出勤前に早稲田と飯田橋に立ち寄ってから出勤するつもりだった。
 
「早稲田に立ち寄るなら高田馬場経由だよな」と、中井の駅でそこまで乗ってきた都営大江戸線から西武新宿線に乗り換えた。このとき、進行方向に向かって後方の車両に乗っていれば高田馬場駅のメインの改札口に近かったはずなのだが、前から2両目の車両なんぞに乗ってしまっていたのがそもそもの躓き。
 
 電車が高田馬場駅の5番線ホーム到着すると、ゾロゾロと電車を降りた人たちにつづいて、すぐ近くにあった階段を上がっていった。上った先にあったのはJR線山手線への乗換え口だった。ちなみにそこは地上3階。
 
 西武新宿線もJR山手線も、ホームは地上2階相当の高架になっている。最初に上った階段の裏手後方に地上1階の改札口につづく階段があるはずだったのだが、どうやら私はそれを見落としていたらしい。
 
「外へ出らんねえじゃん」とキョロキョロしてたら地上行きのエレベーターを発見、降りてみたらそこがビッグボックス口の改札だった。
 
 
 
■参考リンク: 高田馬場駅西武鉄道ウェブサイト)
http://www.seibu-group.co.jp/railways/railway/ekimap/takadanobaba/index.html
 
 
 
 さて、ビッグボックス口の改札を出たすぐ先のスペースでは古本市が開かれていた。そのまま脇を通り過ぎてもよかったのだが、「本日最終日です」の声につられてズラリと並んだ文庫本のタイトルをひととおりザザザザーっと眺めてみた。
 
 そこで目に飛び込んできたのがこれ。
 
 

 
 
『毒舌 身の上相談』(著: 今 東光)
http://www.amazon.co.jp/dp/4087481700
 
 
 
 これは、更新されるのを毎週楽しみにしている人気コラム『乗り移り人生相談』の著者、島地勝彦さんが手がけていた『週刊プレイボーイ』の名物コーナーを文庫にまとめたものだ。連載されていたのは今から35〜40年ほど前のことなのだが、読んでみると、若者の悩みごとってのは今も昔も変わらないのだ な、と思う。
 
 
 
 買ったばかりのその本をカバンに押し込んで早稲田でのさいしょの用事をすませたあと、つぎの目的地である飯田橋まで移動中の地下鉄東西線車内で取り出してパラパラとページをめくっていたら、不意にひらめいてしまったんだな。
 
「大僧正に逢いに行こう」と。
 
 
 
 たぶん、それは、以前に読んだことのある、この記事のことを思い出したから。
 
日経BPネット:乗り移り人生相談:
【10】運を良くしたいなら、先祖の墓にお参りしなさい
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100520/92089/
 
 
 
 そうと決まれば動きは早い。飯田橋での用事を済ませた私は会社に電話をかけていた。
 
「すみません、ちょっと私用ができまして会社には戻りません、今日は休暇ということにさせてください」
 
 
 
 たしか、大僧正の墓は上野の寛永寺にあるとか書いてあったな。柴田錬三郎さんの文学碑が立っているはずだ。わかっている情報はこれだけ。でも、行ってみたくてたまらない。とにかく、私は上野をめざして移動を開始した。
 
 
 
 JRの上野駅、上野公園口の改札を出た私は、国立西洋美術館の前を通り過ぎて上野公園をまっすぐ横切り、パンダを見物に訪れた見物客たちで賑わう動物園前まで突きぬけたところで辺りを見渡した。地図を記した道案内の看板はすぐに見つかった。目指す寛永寺東京藝術大学よりも奥の、国立博物館のさらに裏手にあるのだとそのとき知った。
 
 国立博物館の広い敷地を右手に見ながら進んでいくと、正面に立派な門構えが見えた。門の両サイドは背丈よりもずいぶん高い石塀で囲まれている。門が閉まっていたので、そのまま中へと入っていくことはできなかったが、どうやらここが墓苑らしい。
 
 塀に沿って左方向に目を向けると20mほど先にも墓苑と思われる敷地へとつづく入口があるのが見えた。進入していくと、果たしてそこは墓苑。幅60m×奥行き100mはあろうかという広さだ。
 
 横幅60mの中央を真っ二つに突っ切っていく広い通路から左右に伸びる幾すじもの細い通路。いったい全部でいくつ墓があるのだ? ってゆーか、目指す大僧正の墓はどこだ?
 
 とりあえず、墓苑のド真ん中にある通路をずんずん進む。
 
 
 
 ころあいを見計らって「えいやっ」とばかりに1本の細い通路を曲がってみた。いくつかの墓の前を通り過ぎたところで足を停めて向き直ると、そこは今東光大僧正の墓前であった。柴田錬三郎さんの文学碑もしっかり立っている。
 
 
 
「やっとここまで来れました。お逢いしたかったんですよ、和尚に」
 
 先ほど古本市で買い求めた『毒舌 身の上相談』をカバンから取り出して和尚に語りかける。
 
「和尚のお導きだったんですね、今日これを見つけたのも」
 
 墓石は何もこたえてはくれなかったが、かまわず話をつづけた。
 
「まだ読み始めたばかりなんですけど、面白いですね、これ」
 
 
 
 だれもいない墓前で、ページをめくる。
 
 
 
「ほら、これとか、これとか、今でもそのまま通用しますよ」
 
 和尚が亡くなった昭和52年当時の私は15歳。中学3年生だ。川端康成の『雪国』を読んで、「指が覚えている? なんだそれ、意味わかんねー」と本を放り投げていた頃だ。その頃の私がこの「身の上相談」を読んだとしたら、やっぱり意味がサッパリわからなくて放り投げただろうなと思う。
 
 しかし、あれから30年以上もの時を経た今なら書かれていることの意味がわかる。面白さもわかる。その本を和尚の墓前で読んでいる。なんだか不思議なご縁をいただいたような気がする。
 
 
 
 20分、いや、30分ほどそうしていたろうか。和尚が黙ったまま何も言わないのをいいことに、ひとりで勝手に手にした本を読んで楽しい時間を過ごしてきた。和尚がそれをゆるしてくれたのだと思っている。
 
 
 
※このお話は一部フィクションを交えています。なので、会社サボって何やってんだ?などと無粋なツッコミは無用でお願いいたします。
 
 
 
 さて、島地勝彦さんのこの本ですが、帯を付けたり外したりしてみると、「使用前」「使用後」みたいで楽しめるのでオススメです。
 
 

(使用前) 
 
 

(使用後)
 
 
甘い生活 男はいくつになってもロマンティックで愚か者』(著: 島地勝彦)
http://www.amazon.co.jp/dp/406215756X