通勤train

 
 なんてこった。列の前の方に並んでいたはずなのに、ドアが開いて乗り込んだ電車の吊革はすでに全部ふさがっているではないか。
 
 しかたがないのでそのまま車両の反対側のドア前まで進み車内に背中を向けて立つと、あとから乗り込んできた乗客たちが積み重なるようにして圧力をかけてくる。
 
 後方からの圧力によって、私のすぐ背後のパンツスーツ姿の女性が私に背中を向けたままの姿勢で張り付いてくる。

 身長は私とほぼ同じか少し高め。ほっそりでもぽっちゃりでもない彼女の肉付きのほどよいタポタポ感が洋服越しに伝わってくる。
 
 
 
 彼女の異変に私が気づいたのは電車が走り出してすぐのことだ。
 
 
 
 なんだか彼女の様子がおかしいというか動きが不自然なのである。不意に筋肉がギュッと緊張したかと思うとしばらくその状態をキープしたり断続的に緊張が高まったりスーッと弛緩したり……かと思うとまた筋肉を収縮させてプルプル震えてたりギューッと緊張したり。
 
 緊張が持続するかと思えば、また脱力するように弛緩したり、微妙に腰を後退させたかと思うと僅かに右や左に避けるような動きをした直後に今度はズルズルッとずり下がるように下降してまた持ち直して上昇したり……。
 
 
 
 いちいち筋肉の動きが私の背中に伝わってくる。それも腰あたりから膝くらいまでのかなり広い範囲で。
 
 
 
「んっ……、んっ、んっ、んんっ……」とか、「はっはっ、は……、はああん……」という、少し鼻にかかった声ともため息とも判別つけがたい断続的な呼吸音が聞こえてくるが、それは収縮と弛緩を繰り返す筋肉の動きに同調している。
 
 ぐっ、ぐっ、ぐっ、ぐっ……と少しずつ緊張を高めるように収縮していった筋肉が、ふぅぅぅ……と、今度はゆっくり弛緩していくのだ。
 
 彼女の腰から下の膝くらいまでの大部分の面積が私の腰からしたの膝くらいまでにしているから、洋服越しにも彼女の動きがリアルにこっちに伝わってくる。筋肉が緊張のピーク付近にあるときは、微妙に震えているのすらわかる。おそらく肌はほんのり上気してうっすらと汗ばむくらいに体温も上昇していることだろう。
 
 
 
 さっきから気になってしかたがないのでガラスの反射を利用してこっそり背後の様子をうかがってみた。
 
 
 
 こっちに背中を向けている彼女と向かい合わせになった男性が、顔と顔とがくっつくくらいにピッタリと寄り添うように立っていた。男性がちょっと顔を動かすと、すかさず彼女が敏感に反応する。息の合ったトレーナーとアスリートのように深く信頼しあっているのだろう。
 
 私と同じ駅で電車を降りたふたりは改札へとつづく階段方向には向かわずに寄り添ったまましばらく見つめ合っていたが、直後に反対側のホームに入ってきた逆方向行きの電車に乗り込んでいった。
 
 さいきんは、通勤電車内での筋トレが流行っていると聞いているが、トレーナーをつけて本格的に取り組んでいるひとがいるとまでは思わなかったな。