脱××というカード

 
「わが共和国における原発建設は、あくまで国内のエネルギー確保のためである。核兵器開発だなんてとんでもない。そのような侮辱的妄言に対しては、わが共和国に対する重大なる挑戦として断固たる態度でのぞむ」
 
 と、どれだけ声を荒げて主張したところで信用されない某隣国と、
 
「我が国だって核兵器ぐらい、その気になればいつでも開発できますよ、試してみましょうか?」
 
 と、じつは本気で言ってみたとしても、
 
「ジョークのつもりだったら、もうちょっと気の利いたこと言えよ」
 
 と、言われかねない我が国と間にある埋めがたいこの差はいったい何だろう?
 
 
 
『卓袱台返して菅笠ひとり旅』 小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句(日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110616/220823/
 
 
 
 菅総理が「脱原発」を唱えている。
 
 これを字義通りに解釈すると、「原発やめた」ということになるのだが、我が国安全保障に対して真摯に考えてみると、実はホンネは別のところにあるのではないだろうか?などと勘ぐってみたくなるのが人情というもの。
 
 我が国における原子力エネルギー技術の研究といえば、それは、原子力の平和的利用に限定されて解釈されている。具体的には原子力発電技術。安全でクリーンなエネルギー。
 
 核兵器開発? なに言ってんの? 唯一の被爆国たる我が国において、原子力エネルギーの軍事的役割なんてものは「想定外」のことに決まっとろーが? そんなこと、断じて絶対ありえない。
 
 我が国だけじゃないぞ。同盟国アメリカさんだって、そんなこと(←ニッポンが軍事的な利用目的に基づいた原子力研究&開発に着手するなんてこと)、夢にも思っていないに違いない。
 
 もし、それが実現に向けて動き出すようなことがあれば、我が国はおろか、世界各国がパニックに陥るはずだ。
 
 
 
「おいおい、メルトダウンは総理官邸にも起きてるのか?」
 
「イジメられっ子がブチ切れて刃物もって暴れだしたか?」
 
 
 
 そういう文脈において「脱原発」発言を曲解してみよう。
 
 
 
「もう原子力発電には頼りません」 
 
 と解釈されるのは、ある意味当然っちゃあ当然のこと。
 
「もう原子力発電は懲り懲りです」
 
 だからこそ意表を突いてみるだけの価値はある。こんなふうに言ってみたら大騒ぎになるだろうな。

「我が国においては、原子力エネルギーの研究範囲を原発に限定してきましたが、今般それを改め、適用範囲を拡大することにしました」
 
 として、
 
原発に限定していた原子力研究の範囲を拡大する意味で、『原発しばりからの解放』という意味での『脱原発』を目指します」
 
 なんて発表したら大ウケ間違いなし。
 
 てゆーか、アメリカさんやフランスさんあたりが発表を聞いて慌てる様子が目に浮かぶようだ。
 
「すまん、今までキミのことを札束背負ったカモとしか思ってなかった……」
 
 なあんてね。
 
 
 
※ニッポンには憲法9条があります。