10月5日(金)19時渋谷まで
来春定年を迎える現任支店長の後任として転勤していく営業部次長のオカノさんの送別会を本社と周辺の事業所にいる有志で開くことになった。
参加するのは、オカノさんと仕事で縁のあった同僚や後輩、そしてかつての部下たち。本人ふくめて10名ほどだ。
私は中途入社で、かつ、部署も全く違ってはいるが、オカノさんと年齢や役職(次長同士である)が近いこともあって、部課長会議や研修などで顔を合わせることが多かった。そのためというわけでもないが、自然と仕事の進め方にかんしての相談や根回しや何やらの「打ち合わせ」をよくする関係になっていた。社内で最も接触することの多い相手のひとりといってもよい。
私がいる港区南青山の本社のほかには千代田区の九段下と横浜の青葉台に事業所があって、3ヶ所は東急田園都市線と東京メトロ半蔵門線とを直通運転でつなぐ電車1本で行き来ができるようになっている。
送別会の会場には、本社に近い青山界隈でも六本木界隈でも赤坂界隈でもどこでもよかったのだが、幹事を引き受けたオカノさんの部下であるマツシタくんが選んだのは渋谷の個室居酒屋だった。
「駅からちょっと遠いんですけど、個室だったら落ち着いて話もできますし、少々騒いだところで他のお客さんに迷惑をかけなくてすむと思って選びました」
さすがは気の利く営業マンだ。オカノさんの教育が行き届いている。
「いちおう、役員も出席する営業本部の公式な送別会とは別に、お忍びで開く送別会ですので、会社から揃って会場に向かわれるよりは、三々五々、現地に集合いただくということで皆さんよろしくお願いします」
さすがにそれは黙っていてもいいんじゃないのか?
* * *
さて、当日である。あいにく天気は朝から雨。しかも寒い。
私は青葉台事業所に勤めている、ちょっと方向音痴なツナシマくんにメールを入れた。
「キミも来るって聞いてるけど、ひとりでちゃんと来れる?」
返事が来た。
「はい、これから新宿へ向かいます」
新宿? 会場は渋谷だぞ。
「新宿って、どうやって行くつもり?」
「田園都市線で渋谷から山手線」
「会場は渋谷だけど、新宿に寄り道なんかして間に合うの?」
「うそ? 渋谷? マジすか?」
「マジマジ、だから山手線に乗り換える必要はないよ」
「なあんだ、じゃあ、とりあえず渋谷まで出ます」
「店がどこにあるのか、場所は知ってるの?」
「わかりません。なので一緒に行ってもらえると心強いです」
「わかった。前よりの改札を出た付近で待ってる」
「よろしくお願いしまーす」
こうしてツナシマくんのペースに引き込まれてしまうのは毎度のことだ。ツナシマくんには周りの者を引き寄せる何か天性の素質が備わっているのではないだろうか。そう思えてしかたがない。
「ちょっと聞いてもらってもいいですか」
「なんだ? どーした?」
「いやあ、まったくヒドいんですよ」
「何があったんだ? 話してみろ」
「じつはですね……」
たいてい私が聞き役になるのだが、不思議なことに、まったく悪い気がしない。そういうところがツナシマくんの魅力でもあるんだろうな。たぶん。
※このお話はフィクションです。実在の人物、団体等には一切カンケーないはずです。(笑)