乗り気なんだか腰が引けてるんだか(笑)

 
 リース会社の財務部にいたころといえば、私がまだ27〜8歳だったころだ。5年や10年という期間にわたるリース料金や割賦代金は、その全額を最初に手形で回収してくることが多かった。たとえば、毎月100万円のリース料5年分、合計6000万円を毎月の支払期日ごとに分割した手形60枚を1組にして、その全額分を客先から受け取ってくることになる。
 
 1契約につき1組の手形で回収してくるとして、1ヶ月に新規の契約が100契約あるとすれば、回収してくる手形の数は100組あることになる。1組平均の手形枚数が60枚だとすれば、100組ある手形の総枚数は6000枚になる。あんがいすごい枚数ですよ。
 
 客先から回収した手形は、契約書に定められたとおりの回収スケジュールに沿って作成されているかどうか、手形としての形式的要件を満たしているかどうかについてなど、支払期日や額面金額をはじめ支払場所に振出人の記名押印や収入印紙の有無にいたるまで営業部門で1枚1枚チェックされてから財務部に集められる。
 
 財務部に集められた手形は、財務部スタッフにより、入金伝票に添えられた手形のリスト(振出人、支払場所、支払期日、額面金額などの手形情報が記載されている)と手形の現物との照合チェックを受けたのち、金庫の所定の場所に保管される。これを「収納」と呼んでいた。
 
 1ヶ月のあいだに収納された手形は、ひとまとめにして銀行に預け入れられることになっていた。支払期日がくるごとに手形を決済させる期日管理と手形の保管は銀行にお任せというわけだ。銀行に預け入れる際には、預け入れる手形のリスト(銀行所定の書式による)を現物に添えることにしていたので、預け入れる直前にはリストと現物とを、もういちど照合しなければならなかった。
 
 財務部の手形保管金庫の内部は、手形の状態に応じて3段階に区分され、決して混同することのないよう、非常に慎重に扱われていた。もちろん紛失なんてことがあってはならないのは言うまでもない。
 
【手形保管金庫内部の区分】
 ①営業部門から集まってきたばかりの「照合前」の手形
 ②財務部で照合を終えて収納された「照合後」の手形
 ③銀行への預け入れ準備の整った「預け入れ前」の手形
 
 
 
 さて、実際の手形の取扱の手順についても触れてみよう。
 
 
 
 何をするにしても、手形の現物とリストとの照合作業が必須であった。もちろん、手形の現物1枚1枚ぜんぶと、リストの1行1行とがぜんぶ一致しているかどうかの作業である。1組の手形についての照合作業は、受け入れたときと銀行に持ち込むときのそれぞれ2回。1ヶ月のあいだに、6000枚の手形を回収し、6000枚の手形を銀行に預け入れるとすれば、1ヶ月間に直接目視によって照合する手形の枚数は単純計算で12000枚にもなる。
 
 それをイチイチぜんぶ目で見て確かめるのかって?
 まさか!
 とてもじゃないけど、そんなの1人じゃできません。
 
 というわけで2人ひと組になり、ひとりが手形の現物を読み上げ、もうひとりがそれを聴き取りながらリストの記載内容と一致しているかどうかをチェックすることにしていた。このワザを必殺「読み合わせ」と呼んでいた。銀行に手形をまとめて預け入れるための準備期間中には、この読み合わせ作業が集中して行なわれることになる。
 
 そのころ財務部で受取手形を担当していた社員は3名、推定年齢26歳のオーツカさん(仮名)と23歳のサカモトさんの女性が2人と、男性は24歳のタナカくん(仮名)の合わせて3人。うち任意の2人が読み合わせ作業にあたっていた。3人のうちのどの2人を組み合わせるかは、当人どうしのその日の気分次第であった。もう1人増やして4人体制にすれば2組になるのだけれど、だれもそのことには気づいていなかったようだ。
 
 財務部に在籍していた当時の私が担当していたのは支払業務だった。月末の支払準備の時期が死ぬほど忙しい(ひと区切りつけて会社の外に出てみたら東京タワーの照明が消えてたなんてことがよくあった)ことを除けば、あとは少々手が空いているといってもよかった。なので、彼らが読み合わせの作業にとりかかろうというときに、たまたま自分がヒマにしていたので、
 
「読み合わせのお手伝いをしましょうか?」と、申し出てみた。
 
 すると、申し出は快く受け入れられた。その日の読み合わせ作業は、当初予定していたよりもずいぶん早く終えることができた。めざましい成果といってもよい。
 
 これに味をしめたということでもないのだろうが、それ以来、たびたび読み合わせ作業を頼まれることになった。半分定番化したかもしれないくらいに。
 
 
 
 何度目かの読み合わせ作業のときだった。この頃になると、4人ともだいぶ慣れて、ときおり作業の合間に「こんどの飲み会、どこにしましょうか?」的な雑談をまじえたりするようになっていた。そんな中、なんとなく、サカモトさんとタナカくんのふたりの間にイイ感じの空気が流れていそうな気配を感じることがあった。もっぱらそれは、タナカくんの側からサカモトさんの側へ向かってゆるやかに吹いていたように思えていたんだけどね。
 
「どこかいい店知りませんか?」
 
「月島で、もんじゃなんかどう?」
 
「もんじゃ食べたことないですぅ」
 
「美味しいよ、行ってみようよ!」
 
 完全に雑談タイム。ルーチンの一部として組み込まれているんじゃないかと思えるくらいに馴染んでたね。
 
 そんな雰囲気に背中を押されたのか、もんじゃ焼きを食べたことがないというサカモトさんに向かってタナカくんが、
 
「彼氏と一緒に行ったことあるんじゃないの?」と、ビーンボールまがいの危険球を投げた。
 
「そんなヒトいませんよぅ」
 
「ホントに?」
 
「ホントですぅ」
 
「ウソだあ、サカモトさん、こんなにカワイイのに」
 
「ウソじゃないですよぅ」
 
「もし、それが本当だとしたら、世の中まちがってるよ!」
 
「えー、そうですかぁ?」
 
「うん、世の中、見る目がない男ばっかりだよね」
 
 
 
 ん? 口説きモードに入ったか? 
 
 
 
 オーツカさんと私はそれとなく目くばせして、ふたりの(というか、主としてタナカくんの)様子を窺うというか、静かに成り行きを見守ることにした……はずなのに、オーツカさんったら、
 
「つきあっちゃえば?」と、かましてくれた。
 
「は?」「え?」
 
 サカモトさんとタナカくんのふたりはビックリして顔を見合わせている。
 
「ふたりとも、お似合いじゃん」
 
 オーツカさんがつづけて言う。
 
「つきあっちゃえばいいじゃん」
 
「…………」「…………」
 
 
 
 なんか、ちょっと避けたい気分のする沈黙タイム。この流れでいくと、次の矢は、たぶんこっちに向かって飛んでくる。
 
 
 
「キタガワさんも、そう思うでしょ?」
 
 私に向けて、2×3=6つの目が、一斉に視線の矢を放つ。
 
 
 
「じゃあ、サカモトさんとタナカくんのふたりがつきあうとして……」
 
「つきあうとして?」
 
「オーツカさんもオレとつきあわない?」
 
「却下!」
 
 
 
 なにもそこで3人の声が揃わなくてもいいじゃん!
 
 
 
※このお話はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切カンケーないはずです。