寄せて、あげた、三連休の最終日である成人の日に、“ロックな生き方”を考えるフリをしてみた(笑)

 
 寄せて、あげる、年のはじめの、スケジュールを大幅に早期化された決算業務をこなすため、三連休の初日である1月7日の土曜日に休日出勤してきた。
 
 私のほかに休日出勤してきたのは、経理部の私の部下のうち主任の2人と、私の直属の上司である経理部長。そして総務部の次長さん。
 
 休日出勤の目的のひとつは、その前日の1月6日の金曜日のうちに決算の最終段階でもある課税所得やら税効果やらに係る決算整理仕訳伝票の全部を叩き込んで確定させた貸借対照表やら損益計算書やらに記載する数値に基づいて書き上げ、顧問の税理士さんに依頼していた税務申告書の草案のチェック結果を待つこと。
 
 もうひとつは、連結親会社に提出する決算開示資料(←もちろん自社の決算開示用にも使用する)を作成しながら、それを監査法人にチェックしてもらうこと。←ということは、会社には監査法人公認会計士さんが来ていたってことだ。それも2人。
 
 顧問の税理士さんや監査法人の会計士さんたちにも休日を返上してもらっているのだから、決算の主体であり主役である我々がボンヤリだらだらと時間を潰してよいはずがない。
 
 ほぼ、スケジュール通りに作業は進み、休日出勤も今日の1日だけでよさそうじゃんって思っているところへ、顧問の税理士さんから電話が入った。 税務申告書の草案のチェック結果だ。電話を受けた主任がホッとしたように報告する。
 
 
 
「きれいにピッタリ合ってたそうです」
 
「当然だ」
 
「え?……」
 
「当然だ、って言ってんだよ」
 
「当然……なんですか?」
 
「ピッタリ合わせてるんだもの、合ってて当たりまえじゃん」
 
 
 
 だって、そーだろ? ひとつひとつ、きちんと事実を追いかけて、その事実に基づいて数字を積み上げて、その数字を定めた方針に従って正しく処理したんだろ?
 
 合ってて当然じゃん?
 
 もし、どこか違っているところがあるとすれば、事実認定に食い違いがあるか、そこでつかんだ数値を見誤ったか、処理方針が相応しくなかったか、あるいは、方針の定義や解釈に相違があった、ってことだ。
 
 相違があったのなら、改めてお互いに確認し合えばいい。意見の違いによるギャップがあるなら、埋めればいい。最終的な判断はこっちが下すけどな。
 
 お前ら、勘違いしてねーか?
 
 自分らがすることを、最終的に誰かに判断してもらって決めてもらおうとかさ。甘ったれてんじゃねーよ。オレらのことは、オレらが決めて、オレらがやるんだよ、オレら自身の手で。
 
 そーだろ?
 
 お前らが、自分の仕事を自分で判断できなくて、自分で決められなかったら、誰がそれを判断して、誰がそれを決めるんだ?
 
 もしかして、オレか? オレに決めてもらいてー、つーのか? 上司のオレに?
 
 上等だぜ。
 
 じゃあ、オレが全部決めてやる。そのかわり、オレが納得するようなやり方でカンペキにやってくれよな。このあと、お前らがやること全部だ。
 
 
 
 と、いうような具合に休日出勤を1日で締めくくり、8日の日曜と、9日の成人の日を休みにした。
 
 で、家でツイッターのタイムラインをボンヤリ眺めていたら、こんなのが目についた。
 ↓
「世の中で成人式に行かないヤツには、二種類の人間しかいない。ロックな生き方を選択したか、或いは二浪生か」
 
 
 
「ロックな生き方」って、何だ?
 
 
 
 ロックから浮かんできたイメージを、言葉にして並べてみた。
 
「反抗的」とか、
「反骨的」とか、
「他人とは違う」とか
「骨太」とか、
「ヤワじゃない」とか、
 
 他にもまだまだありそうだ。が、共通しているものを、ひとつだけ挙げるとすれば、たぶん、これ。
 ↓
「自分の意志で生きる」
 
 誰に決められたのでもなく、自分で選んで、自分で決めて、自分でやる。だから、その結果も自分で引き受ける。誰のせいにもしない。
 
 みんなが右へ行くからそれに流されて右へ行くのではなく、また、みんなが左へ行くからそれに逆らって右へ行くのでもなく、自分で右へ行くと決めて右へ行く、ということだ。もちろん、自分のケツは自分で舐め……、もとい、自分で拭けよ、と。
 
 なんか、文句、ある?
 
 と、ゆーワケで、今年もハデに、Kick Ass!
 
 
 
 あ、そうそう、ウィスキーは、ロックじゃなくて、水割りで。よろしくね。←ストレートじゃねーのかよ!と、ツッコむところです。(笑)