カワヅくん
若いカワヅくんに「海の広さ」についての話をしてみた。
カワヅくんが好きなのは、ほんとうは井戸なんだってこと、私は知ってるんだけどね。
狭い井戸の底から見上げたときに小さく見える空が好きだという彼は、私の「海の広さ」の話を遮って、
「でも、海水ってしょっぱいから嫌い」とか、
「でも、海って波が高くて危ないよね」とか、
「海にはサメもいるしね」とか、そんな返事ばっかり。
ちょっとガッカリだな。
それ、今の会話の話題じゃないから。
話題にしているのは「海の広さ」だから。
つっても、カワヅくんは聞く耳を持とうとしてくれません。
聞く耳を持っていない相手には、どんな話も通じません。
つーか、蛙くんには、海のように広い心や、空のように高い志、そして、豊かな想像力と創造力をもって欲しいな。
とか、思ったりする。
※このお話はフィクションです。実在の人物・団体等には一切カンケーないはずです。(笑)
裏でこっそりバックマージン、もらってんじゃねーの?
人は、偉くなれば偉くなるほど公私混同するようになるというが、それは、高い地位にある人ほど「私」を「公」のために供するようになるからで、「私」が「公」に近づいていくということである。だからこそ周囲の人の尊敬を集めるのだ。逆に、「公」を「私」のために利するヤツは――
「急な話ですみません、振込みを1件お願いしたいのですが」
総務部の次長さんが、私の席にやってきた。
「どうしました?」
「週明けに、永年勤続表彰があるのですが、商品券を用意することになりまして」
「来週の月曜日、てことは、金曜日のうちに現物を用意しなければなりませんね」
「はい、その商品券代の100万円なんですが」
「今月末の支払でよろしいんでしたら、締め切りまで、じゅうぶん余裕がありますよ」
「それがですね……」
「もしかして、現金引き換えとか? 金曜日にご用意しておけばよろしいんですね」
「いえ、前金を振り込んでいただきたいんですよ」
「前金を振込みで? ネットで買ったんですか?」
「いいえ、J社さんに注文したら、請求書を送ってよこしたんです」
「そこに、振込み指定がされていたんですね?」
「そうなんですよ、その指定日が、なんと明日」
「えええっ? 今日の明日で振り込めって、J社のヤロー、なに考えてるんだよ?って感じですね」
「まったく、そのとおり、申し訳ないんですが、お願いできますか?」
「で、商品券は、J社が金曜日に持ってきてくれるんですか?」
「いいえ、郵送です。請求書に、“送料”って書いてある」
「うっそでしょ? J社っつったら、ウチの出張でしょっちゅう使ってるとこじゃないですか、ウチはお得意様のはずですよ、ったく、年間いくら使ってると思ってるんだか……、そのお得意様から『金曜の夕方までに商品券100万円分持ってこい』って言われたら、喜んですぐに飛んで来いよ!ってなもんでしょう? 『代金は月末のお振込みで結構です』とかなんとか言って」
「そうくるだろうと思ってたら、なんと前金請求してきやがって」
「フザけてますよ、売掛金の入金消しこみ見てますけど、J社ってウチの顧客でもなんでもないですよ、ただの出入りの業者です、なのに、なんでそんなに気を遣わなくちゃならないんですか? 切っちゃいましょうよ、そんなとこ」
「ナガサワさんとのカラミがあるから、そう簡単には切れないんですよ」
ナガサワさんというのは、当社のエライさんのひとりで、営業部門の総元締めだったりする。
「そんなこと言ってるからナメられてるんじゃないですか」
「ナガサワさんだけじゃなくて、営業部の出張の手配のほとんどをJ社に頼んでるみたいですし」
「旅行の手配といえば、去年の社員旅行のときに他の代理店との相見積りを取って、他社の方が安かったからそっちに決めようとしたら、ナガサワさんから『J社を使え』って電話がかかってきてJ社に決めさせられたんだとか幹事が言ってましたよね」
「言ってた、言ってた」
「あれ? そういえば、今日、ナガサワさんの年末の交際費の精算書が回ってきてましたけど、ナガサワさんたら、J社を接待してましたよ」
「マジですか?」
「そうそう、これこれ」
「どれどれ?」
「えーと、なになに……、J社の法人営業部T氏が忘年会に招待してくれた謝礼として二次会……って、何だこれ? 何でJ社なんか接待してるわけ?」
「ったく、どっちが客なんだか」
「J社が、○○システムの導入を検討しているという情報入手とか書いてありますよ、ってことは、見込み客?」
「じゃあ、○○システム営業を担当してるサトー部長にお知らせしときますか? 商談ありますよって、どうせウソに決まってるでしょうけど」
「それにしても、なんで出入りの業者を接待しなきゃなんないんすか?」
「J社には、いろいろ無理をきいてもらったりして、世話になってるからだとか」
「旅行の手配なんか、ヤツらの本業じゃないですか、多少の無理があっても何とかするのが仕事でしょうに、そのためにカネを払ってるワケでしょ?」
「ナガサワさん個人も、家族旅行とかで会社にJ社を呼んでいろいろ面倒みてもらってるらしいですから、そっちの関係もあるんじゃないですか?」
「だったら、そんなの会社のカネじゃなくて、自分のポケットマネーでやれよと言いたいですね、会社としてではなく、ナガサワ個人としてやれよ、と」
「公私混同すんな、と」
「公私混同つっても、ベクトルが逆を向いてますよね、『エライ人ほど公私混同する』といいますけど、それは“私”が“公”に近づいていくことであって、ナガサワさんのやってることは……」
――下衆だ。
※このお話はフィクションです。実在の人物、団体等には、一切カンケーないはずです。(笑)
寄せて、あげた、三連休の最終日である成人の日に、“ロックな生き方”を考えるフリをしてみた(笑)
寄せて、あげる、年のはじめの、スケジュールを大幅に早期化された決算業務をこなすため、三連休の初日である1月7日の土曜日に休日出勤してきた。
私のほかに休日出勤してきたのは、経理部の私の部下のうち主任の2人と、私の直属の上司である経理部長。そして総務部の次長さん。
休日出勤の目的のひとつは、その前日の1月6日の金曜日のうちに決算の最終段階でもある課税所得やら税効果やらに係る決算整理仕訳伝票の全部を叩き込んで確定させた貸借対照表やら損益計算書やらに記載する数値に基づいて書き上げ、顧問の税理士さんに依頼していた税務申告書の草案のチェック結果を待つこと。
もうひとつは、連結親会社に提出する決算開示資料(←もちろん自社の決算開示用にも使用する)を作成しながら、それを監査法人にチェックしてもらうこと。←ということは、会社には監査法人の公認会計士さんが来ていたってことだ。それも2人。
顧問の税理士さんや監査法人の会計士さんたちにも休日を返上してもらっているのだから、決算の主体であり主役である我々がボンヤリだらだらと時間を潰してよいはずがない。
ほぼ、スケジュール通りに作業は進み、休日出勤も今日の1日だけでよさそうじゃんって思っているところへ、顧問の税理士さんから電話が入った。 税務申告書の草案のチェック結果だ。電話を受けた主任がホッとしたように報告する。
「きれいにピッタリ合ってたそうです」
「当然だ」
「え?……」
「当然だ、って言ってんだよ」
「当然……なんですか?」
「ピッタリ合わせてるんだもの、合ってて当たりまえじゃん」
だって、そーだろ? ひとつひとつ、きちんと事実を追いかけて、その事実に基づいて数字を積み上げて、その数字を定めた方針に従って正しく処理したんだろ?
合ってて当然じゃん?
もし、どこか違っているところがあるとすれば、事実認定に食い違いがあるか、そこでつかんだ数値を見誤ったか、処理方針が相応しくなかったか、あるいは、方針の定義や解釈に相違があった、ってことだ。
相違があったのなら、改めてお互いに確認し合えばいい。意見の違いによるギャップがあるなら、埋めればいい。最終的な判断はこっちが下すけどな。
お前ら、勘違いしてねーか?
自分らがすることを、最終的に誰かに判断してもらって決めてもらおうとかさ。甘ったれてんじゃねーよ。オレらのことは、オレらが決めて、オレらがやるんだよ、オレら自身の手で。
そーだろ?
お前らが、自分の仕事を自分で判断できなくて、自分で決められなかったら、誰がそれを判断して、誰がそれを決めるんだ?
もしかして、オレか? オレに決めてもらいてー、つーのか? 上司のオレに?
上等だぜ。
じゃあ、オレが全部決めてやる。そのかわり、オレが納得するようなやり方でカンペキにやってくれよな。このあと、お前らがやること全部だ。
と、いうような具合に休日出勤を1日で締めくくり、8日の日曜と、9日の成人の日を休みにした。
で、家でツイッターのタイムラインをボンヤリ眺めていたら、こんなのが目についた。
↓
「世の中で成人式に行かないヤツには、二種類の人間しかいない。ロックな生き方を選択したか、或いは二浪生か」
「ロックな生き方」って、何だ?
ロックから浮かんできたイメージを、言葉にして並べてみた。
「反抗的」とか、
「反骨的」とか、
「他人とは違う」とか
「骨太」とか、
「ヤワじゃない」とか、
他にもまだまだありそうだ。が、共通しているものを、ひとつだけ挙げるとすれば、たぶん、これ。
↓
「自分の意志で生きる」
誰に決められたのでもなく、自分で選んで、自分で決めて、自分でやる。だから、その結果も自分で引き受ける。誰のせいにもしない。
みんなが右へ行くからそれに流されて右へ行くのではなく、また、みんなが左へ行くからそれに逆らって右へ行くのでもなく、自分で右へ行くと決めて右へ行く、ということだ。もちろん、自分のケツは自分で舐め……、もとい、自分で拭けよ、と。
なんか、文句、ある?
と、ゆーワケで、今年もハデに、Kick Ass!
あ、そうそう、ウィスキーは、ロックじゃなくて、水割りで。よろしくね。←ストレートじゃねーのかよ!と、ツッコむところです。(笑)
寄せて、上げる、年のはじめです
去年の12月に入ってからずっとこっち、何が何だかわからないような状態でバタバタさせられていたかと思ったら、4日だけ休みをもらって明日からフル稼働なんだぜ、ベイベー。
というのも、去年の11月に、ウチの会社がTOB(株式公開買い付け)されて、グローバル企業である某メーカーさん(○○社とします)の、子会社(卸売販売を担当する「○○販売」とします)のそのまた子会社(孫会社)になることが決定したことが、そもそもの発端。
12月のアタマに、我々の親会社にあたる卸売販売会社の連結決算担当のスタッフの皆さんがいらして、「これが我が○○販売の決算スケジュールです」と渡されたカレンダーを見てビックリしたんだな。
決算期末明けた3営業日めの午前中には、すべての決算会計処理を終えた結果の貸借対照表や損益計算書を提出することになっている。
ってことは、2営業日めのうちには全部の処理が終わってなくちゃなんないじゃん? その結果をもって、3日目の午前中には決裁をまわしておかなくっちゃならない。だって、管理本部長の承認を得てなくっちゃ、親会社へ提出できないもんね。
2営業日めのうちに全部の処理が終わっているためには、1営業日のうちに、売上げ仕入れ、経費など、すべての財務状況を確定、計上していないとならない。となると、遅くとも1営業日の午前中には売上げも仕入れも締め切っておかないと締め切れないよね。
これは、わが社にとって、革命的!
なぜなら、今までのわが社の決算といったら、いつまでもズルズルと締め切れなくて、貸借対照表や損益計算書の暫定版が10営業日までにでき上がれば上等ってな感じだったので、日程的には4分の1に短縮しなくては、とても実現不可能なんだもの。
というのも、月が明けてから、「先月は何やってたっけ?」ってな調子で売上げ報告やら仕入れ報告がボツボツ上がってきて、それから3日くらいかかってようやく売り上げデータや仕入れデータがそろい、やっと粗利益が確定するのが7営業日くらいな感じ。
その間に、経費計上や資産の取得や除却などの異動情報などを並行して処理して財務状況を確定させ、その後、引当金の計算や税金の計算を経て、10日目にようやく完成していたのだ。
今まで10日かかっていたものを2日半で終える。
これって、すっごい大変なことだって思える、のはしょうがない。なるほど、見かけ上はそのとおりなんだもの。
でもね、仕事の絶対量が増えたってワケではないのだね。売上げの件数や仕入れの件数が増えているワケではない。経費も同様。数のうえでは以前と変わらないのだ。なので、以前と変わらぬ数の処理の、完了タイミングを早くすればハードルをクリアできるはず。
つまり、寄せて、上げる、ってこと。
完了タイミングを早くするイチバンの近道は、スタートのタイミングを早めることだ。1日早く終えたければ1日早く始めればいい。2日早く終えたければ2日早く始めればいい。いつまでも手元に溜めておかないで、売上げや仕入れの事実が発生したら、とっとと売上げ伝票や仕入れ伝票を起票してくれればそれでいい。
次に、流れを堰き止めないように、どんどん次の工程の担当者に書類を回すことだ。受け付けた書類を溜めておいて、たとえば100枚全部そろってから、100枚全部をまとめてイッキに片づけていた(処理担当者にとっては、そうした方が効率がよいと思えたらしい)のを、20枚くらいずつの小ロットに分けて処理したものを次の工程に回せばいい。
そうすることで、処理待ちや処理後の次工程への回付待ちなどの「遊んでいる書類」を減らすことができるし、同時並行処理が時間短縮にもなる。(←伸ばしていた伸縮アンテナを縮める様子をイメージすれば分かりやすいだろう。長さは短くなっても重さは変わらない)
溜めてないで、すぐに出してしまおう、ってこと。
というような意志をもち、それを会社全体の隅々まで万遍なく行き届かせられるような啓蒙活動に年末のほとんど全部を費やした。年始以降もこれを徹底させるのが、おそらく私の主たる仕事になるだろう。ということで、年末も年始も、あんまりカンケーなかった感じ。ただの4連休でした。
年賀状? そんなもん、パスだ。
基準はシンプルな方がいい
岬の尾根に沿った一本道を、ふらふらとひとり歩いていく人がいる。
その先には、崖になって海へと落ち込んでいる岬の先端がある。道の途中には道の端が脆くなって崩れ落ちて道幅が極端に狭くなっている箇所があってそのままふらふら歩いていくと足を踏み外して崖下に転落する恐れがあるようにも見える。
「危ないなあ……」と思ったあなたはどうしますか?
A.追いかけていって引き止める。
B.「そっちへ行くと危ないよ」と声をかける。
C.知らんぷり。
D.その他(具体的に)。
私だったらどうするか? たぶん、その対応は、相手によって変わる、というか、変える。
【好きな人の場合】
まず、「危ないよ」と声をかける。声をかけても、そのままずんずん進んで行っちゃうようなら、追いかけていって引き止めようとするでしょう。
【好きでも嫌いでもどっちでもない人の場合】
いちおう、「危ないよ」と声はかける。そのまま行っちゃうようなら、もう一度、今度はもうちょっと大きな声で「そっちは崖だ、危ないぞ!」と声をかける。それでも進んでっちゃったら、「あ〜らら、行っちゃったよ……」で、終了。
【嫌いな人の場合】
係わり合いになりたくないので知らんぷり。言葉を交わしたくもないので無視します。どうなろうと知ったこっちゃありません。
【関心がない人の場合】
そもそも関心がないので、そんなところを歩いている人がいることにすら気づかない。というか、見えていない。仮に、視野にとらえていて、その姿が網膜に映っていたとしても、おそらく脳では認識していない可能性が高い。
というわけで、私が人に対してとる行動や態度は、高度に恣意的というか選択的。
基準は、「好き」か、「嫌い」かの、たったそれだけ。
↑
じつにシンプルでわかりやすい。
みんなも、そうでしょ?
コーヒーとコピーとシュレッダー
オフィスの給茶コーナーにはコーヒーサーバーがあって、社員がホッとひと息入れたいときには、いつでも熱いコーヒーを飲めるようになっている。
とはいえ、コーヒーポットには、常時タップリなみなみとコーヒーが入っているとは限らない。たまに、空っぽのまま放置されていてガッカリなんてこともある。
「誰だよ? 最後のヤツ。ちゃんと次の人のために入れとけよ」
と、文句を言いたくなったりもするけれど、文句をいったところでポットがコーヒーで満たされることはない。なので、空になったことに気づいた人が、新しくコーヒーを淹れる当番を務めることになる。
さて、当番とはよくいったもので、空っぽのコーヒーポットに当たったときに、文字通り「当たり」を引いたのだと私は考えることにしている。
コーヒーポットは、常に淹れたて熱々のコーヒーで満たされていなければならない。じっさいにそこに来る人たちは、ホッとひと息いれたくて、熱いコーヒーを飲みに来ているのだし。
しかし、それが空っぽだったということは、じつは、目には見えない大きなチャンスを手にしているのかもしれないんだよ。
手にしたのは、空っぽのポットに、新しく淹れた熱々のコーヒーを、自分の好きなように満たしてよいチャンス。
チャンスの活かし方はじつにカンタン。コーヒーサーバーに新しいペーパーフィルターをセットし、コーヒーの粉を必要量入れ、タンクに水を注げば終わり。これでカップに12杯分のコーヒーが用意できちゃうんだね。
とゆーことは、コーヒーを飲みにきた12人の人たちに、「美味しい」とか、「ホッ……」と、ひと息つける、ほっこりタイムをプレゼントできるってこと。だよね?
「コーヒー淹れて、12ほっこりゲットだぜ」
――って考えたら、コーヒーを飲もうと思ってたのにポットが空っぽだったってことが、じつは、神様が自分にチャンスをプレゼントしてくれてたんだって思えるじゃん?
オフィスのコーヒーポットが空っぽのときと似たようなのに、コピー機の用紙ギレや、シュレッダーくず満杯などがある。これらもまた、見えないチャンスだったりするんだよ。
コピー機が用紙ギレを起こして止まってしまったときには、新しく用紙を補充しないと次のコピーはできませんし、用紙ギレは、コピーをとってりゃ必ず起きること。そんなのは分かりきってるはずなんだけど、
「ちぇっ、なんでオレのときに限って用紙ギレなんか起こすんだよ」
と、文句タラタラ言いながら用紙トレイを引き出し、500枚入りパックをビリビリ破いて用紙をトレイにセットして、
「ガシャン!」
と、トレイを乱暴に押し込んだりしているんだろうな。もしかして、呪いの言葉のひとつも吐きながらね。
もったいない。
じつにもったいない。せっかくのチャンスが台無しです。
もうね、チャンスを活かすどころか、逆に、大きなマイナスなんですよ。オフィスの仲間たちみんなにとっても、よいことではありません。
だって、せっかくセットしたばかりの新しいコピー用紙500枚の1枚1枚は、ネガティブな感情に感染しているんだもんね。オフィスの全員が呪いをかけられたといってもいい。
こんなことでは、せっかくやってくれたことでも逆効果。かえって大迷惑だったりするかも……。
どうせなら、コピー機の用紙ギレに当たったら、
「ラッキー♪ 今日のオレはツイてるぜ」って思えばいい。
だって、500分の1の確率を引き当てたんだよ? スゴイことじゃないか。2回連続だったりしたら、
「なんだよォ、昨日につづいて2回連続の用紙ギレかよ」と、文句なんか言ってる場合じゃありません。
「すっげえ! 250000分の1だ! 国土地理院なみじゃん!」と、大喜びするべき場面です。
――というより、いつでも入れたての熱いコーヒーを飲むことができたり、コピー機を不自由なく使えたりするってことは、
「アタリマエのことではない」と思ってなくちゃ。
誰かが、陰で支えてくれているからこそのアタリマエ。感謝しても罰は当たらないと思うなあ……。
と、ゆーワケで、ときには陰で支える側に立ってもイイんじゃないの?
そこにいないひと
「ちょっと、アレはないんじゃない?」
「アレって何さ?」
「さっきまで側にいたコよ、ずっと声をかけてもらいたそうにしてたのに、アンタ、ずっと無視してたじゃない」
「そんなコ、いたっけ?」
「いたっけ?じゃ、ないわよ」
「どんなコ?」
「ちょっと地味めかな?って感じの、色が白くて、黒目がくっきりして髪がサラサラの」
「ごめん、ぜんぜん思い出せない」
「アンタって、いっつもそうなのよね、眼中にないってのはコレか!って態度すんのよ」
「まるで、姿が見えてないみたいって、よく言われてる、その感じ?」
「そうそう、そこには誰もいませんって感じでいるのよ」
「ほら、オレってさ、会話でも何でも夢中になっちゃうと、周りが見えなくなっちゃうことがあるじゃん、そこに集中しすぎるっていうか」
「たしかにそれは言えてるかも……、それで、自分が興味もってない相手やモノに対しては徹底的に冷たい」
「そうは言うけど、自分では冷たくしているつもりはないんだよ、ぜんぜん」
「だって、相手の存在自体に気づいてないんだものね?」
「そうなんだよ、自分にとって、そこにいない人に対して、どんな態度をとればいいのか、わかんないよ」
「そこにいないんじゃなくて、本当はずっとそこにいるんだけど、存在に気づいてもらえないから、いないも同然の扱いをされちゃってるのね、なんだかカワイソウだわ」
「カワイソウって言われてもなあ……」
「アナタのことよ」
「えっ?」
「ねえママ、あのおねえちゃんたち、寒くないのかしら?」
「?……やあね、だれもいないわよ」