「妻が拒む」=「外でしてきてね」ということです

 
 ショッキングというか、なかなか刺激が強い記事の見出しである。
 
セックスレス夫婦 妻に拒まれた夫の言い分は「離婚しかない」(NEWSポストセブン)
http://www.news-postseven.com/archives/20111101_67958.html
 
 書かれている内容にも、少々キツイものがあると思った。
 
 
――再現VTRで、『久しぶりにどう?』と誘う夫に、妻が『受け入れられないというか。もういいです、お断わりします』という――
 
 
 これが事実だとするならば、この夫婦は事実上(←ダジャレじゃないっすよ)とっくに破綻しているよね。「性的なつながり」という意味でもオワッてる。
 
 
 
 結婚ってさ、ひと組の男女がお互いに相手を尊重しあい、理解しあい、手を取り合って共同生活を営んでいく「パートナーシップ」だよね。いろいろなものを共有しあったり、分かちあったりしながらね。
 
 はじめはお互いに他人同士であったんだから、ふたりの間で最初から何もかもピッタリ一致してるなんてことはないんじゃないの?
 
 むしろ、お互いが考えていることや望んでいることが、そもそも不一致だったところからスタートしているんじゃないの?
 
 で、その不一致だったところから、お互いに譲り合ったり歩み寄ったりしながら、その違いを調整するようにして擦り合わせ、共通点を見出し、ときには妥協しながら、お互いに納得しあっていくものじゃないのかな?
 
夫: 「したい」
妻: 「したくない」
 ↑ 
※両者の思惑(?)には、大きな開きがある。
  
 それをさ、「受け入れられないというか、もういいです、お断りします」とバッサリ。そこには、ハッキリとした言葉では言いあらわしてはいないけれども、
 
「もう、二度と求めてこないでください」という、強い意志がみてとれる。
 
「歩み寄る余地は1ミリたりともありません」と、キッパリ拒絶している。
 
 
 
 こんな人が相手では、この先もいっしょに夫婦としてやっていけないですよ。共同生活なんてムリです。オワッてます。つづけていけません。
 
 もし、これが仕事の相手だったとしたら、こんな人とはいっしょに組みたくありませんよね。こっちから願い下げです。信頼のおけるパートナーとして選べない。とてもじゃないが、うまくやっていけそうにありません。
 
 
 
 さて、ここで「パートナー」という言葉が出てきたついでに、お互いをセックスのパートナーであると認めたうえで、あらためて夫婦関係というものについて考えてみます。
 
 まずは、夫婦であることの性的意義を定義しましょう。
 
「夫婦とは、お互いに相手を独占的かつ排他的な専属パートナーとする、性的パートナーシップ契約を結んでいるカップル」とします。
 
 つまり、
 
「私の相手はあなただけ。あなたの相手は私だけ」ということであり、それは、「あなた以外の人とは性的なかかわりをもたない」ということなんですよね。(※ただし、それをどこまで厳密に遵守するべきなのかについては、人によって解釈に幅があったりするところではある。が、ここでは原則論にとどめておきます)
 
 
 
 というところまで押さえたところで、ここからが本題です。
 
 
 
 夫とのセックスを妻が拒むということの意義を、性的パートナーシップ契約の観点からどう見るか――
 
 これはもう、一方的な契約破棄を宣言したものといえるでしょう。「私はあなたの相手ではない」ということですから。
 
 ということは、同時に、「あなたは私の相手ではない」と宣言したということでもありますよね。
 
 当然、性的パートナーシップ契約は解除され、その効力を失います。契約を破棄された相手側(夫)は、妻の独占的かつ排他的な専属の性的パートナーではなくなるわけです。
 
 早い話が、
 
「あなたはあなたで勝手に処理してください」ということです。
 
 ってことは、言い換えると、
 
「私はあなたとは性的な係わりをもちません」ということであり、
 
 すなわち、
 
「あなたの性的活動を私は一切関知しません」ということなのですから。
 
 そのまま真っ直ぐ
 
「他の女としてください」に結びついちゃうわけですね。
 
 
 
 おいおい、いくらなんでもそれは乱暴なんじゃないの?と、思われるでしょうか? それとも、性にかんする話なので論じにくいとお思いでしょうか?
 
 
 
 では、性欲とならぶ、人間の三大欲求のもうひとつ、食欲に置き換えて考えてみましょう。たとえば、あなたがお腹を空かせて帰宅したときのことを想像してみてください。
 
「あなたの分は用意しないことにしたわ」と、食事が提供されなかったり、
 
「あなたとはいっしょに食べたくないの」と、ともにテーブルにつくことを拒否されたとしたら、あなたはどうします?
 
 自分で作って自分で食べる(自炊する)か、外で食事を済ませてくる(外食する)んじゃありませんか?
 
 そういうことなんですよ、「妻が拒む」ということは。
 
 だから、
 
「妻が拒む」=「外でしてきてね」になるのです。
 
 わかりやすいでしょ?
 
 
 
 余談になりますが、夫も、もうちょっと粘った方がいいんじゃないのかな?とも思います。1度や2度拒否されたくらいで諦めて引き下がるなんて、ちょっと情けなくはありませんか?
 
「イヤ!」と拒否されても、また誘えばいいじゃありませんか(ただし、無理強いはいけませんよ。夫婦であっても、嫌がる奥さんを力ずくでねじ伏せ、無理やり行なったりすると、「レイプ」加害者になっちゃいますから)。
 
 くじけずに、また誘えばいいんです。くり返し誘う。間をあけてまた誘う。できれば、「誘っても拒否された」記録もつけましょう。
 
「○月○日、拒否された」
「×月×日、拒否された」
「△月△日、拒否された」
「☆月☆日、拒否された」
「◎月◎日、拒否された」
「□月□日、拒否された」
  ・
  ・
  ・
 
 あなたが、妻から性的に拒否されつづけていたことの「証拠」になります。
  ↑
 この意味、おわかりになりますよね?
 
 
 
――というところで、
 
 奥さん、夫婦としてこれからも一緒に暮らしていくつもりがあるなら、完全拒否なんてしてないで、3回に1回くらいは応じてあげたらどうですか?
 
 なぜ「3回に1回」かって?
 
 そりゃ、アレですよ、3という数字は、日本人が好きな数字だからですよ。よく言うじゃありませんか。
 
「3度目のデート」とか、
「3度目の正直」とか、
「仏の顔も3度」とか、
「二度あることは三度ある」とか、
「三日坊主」とか、
「3年目の浮気」とか、
「母をたずねて3千里」とか、
「サード長嶋、背番号3」とか、
「嘘の起請を書くと、熊野で烏が三羽死ぬ」とか、
 
 そーだねえ……、3回に1回がダメだとしても、せめて5回に1回でいいから、きいてあげればいいんじゃないの?
 
「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」とか、言ってあげたら?